by 紙漉きの師匠
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○○と、煙は高いところが好きなんです。 はい! スカイツリーの足元に広がる下町を散歩して考えたことを少し。 浅草紙考 「浅草」は江戸時代に、最も多くの紙漉き業の行われた土地のひとつである。 それも漉き返し紙の産地である。今でこそ日本は古新聞回収・リサイクル・ 再生紙など世界に誇る制度が確立しているが、一朝一夕にできた訳ではない。 浅草紙の歴史だけでも300年以上前から江戸庶民の衛生面で生活を支えていた。 --------------------------------------------- 寛文年間に書かれた岩井守義[浅草地名考]浅草名物の項に 「連俳武蔵野、寛文四年印本。 浅草木綿、同紙、籠耳、貞享四年印本芥子主人蔵」 との記録がある。 延寶四年新版及び天和三年正月版、並びに貞享年間の [江戸繪圖][江戸大繪圖]によれば、 浅草田原町一丁目に続き南の方に 「カミスキ町」 なる町名が記載されている。 貞享四年に刊行された藤田理兵衛の[江戸鹿子]には、 浅草駒形より西筋、東は駒形、西は寺丁まで、三間町二丁、 田原町三丁、紙すき町、茶や町二丁 とあり、 又「すきかゑし紙や」として 「浅草門跡前、同所はしば」の二個所を記している。 ---------------------------------------------- 関義城『江戸東京紙漉史考』より ということで、「カミスキ町」を捜して探検である。 ちなみに、「江戸鹿子」の刊行は貞享四年。それは1687年をさし今から325年前の事。 この辺りが「カミスキ町」と推定できる場所になる。 が、「浅草田原町一丁目に続き南の方にカミスキ町」となるので カメラを構えた私が立っている歩道の上が南の方になるかな? 或いはもう少し下がって道路上になるのかな? どのように水を引いて、どのように水を流したか知りたいものだ・・・・。
by isyouko-bou
| 2012-05-23 23:05
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