by 紙漉きの師匠
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栗坊のじたばた紙漉き奮闘記
泣いて 2013年09月07日 山積みの作業をするのに、朝早く出だせばいいのに・・・ 私が勝手に弟子になってる、東京の紙漉師・田村正氏のFaceBookの近況を見て、泣いた。 師匠は、明日も仙台で紙漉教室。 道具と材料満載の車で、東京から被災した地域をつぶさに見ながら手を合わせながら北上している。 師匠の漉いた小さな和紙を干さないまま携え、被災現場に干し板を持ち出しては数枚貼り付け、被災地の風をあてて・・・哀しさや無念さや切なさをみんな一緒に詰め込んで、展示会の折に趣旨に賛同した来場者から一文字書いていただきながら被災地に想いを馳せてもらう・・・ 以下続く ------------------------------------------------------- 確かに満載です、それでも寝るスペースだけは必ず確保します。 嬉しい応援ブログと思いますので掲載してしまいました。 実際に被災地に立つと、涙が出ます。 年をとってきたのか涙腺が少しもろいような気がします。 伝えることが私のお役目なら伝え続けようと思います。 紙漉き 田村正 #
by isyouko-bou
| 2013-09-26 21:26
| 想い
会場は
柴田町4号線に面した「和暮らし・カルタ」家具屋さんの一角をお借りしての開催です。 店長の伊藤さんにお願いしました。土曜日の開催ですから若い方も是非お誘いくださいと・・・・・ 伊藤さんはお逢いしてすぐにこう申しました。 「50、60の鼻たれ小僧を並べてみました」「セーラー服を着てくる様に注文は出しておきましたよ」 学ぼうと思った時が若者ですね。私は贅沢を言いすぎましたね。 80才の書の先生も最初から最後まで楽しんで行かれました。 私の握手で「元気注入」と申したら、3回握手を求められ、応じました。 元気を与える事が出来て良かったです。 #
by isyouko-bou
| 2013-09-24 21:24
| 教室開催
国道6号線北側からの福島第一原子力発電所に向かう途中
帰還困難区域立ち入り禁止措置 浪江町では国道6号線に面した路地路地にバリケードがあり、 大きな交差点は警備の人が24時間体制で立ち、立ち入り禁止を徹底しています。 そんな6号線に面した「地蔵前」の標識のある信号で紙干しをしました。 紙干しの後は手を合わせ合掌。 地蔵の反対側では警備の方が私の一挙手一投足を注意深く見守っていただいているのが分かります。 大きな声で警備の方に 「御苦労さま!!」と深々と頭を下げ立ち去ります。 非力ですが、私には労いの言葉をかけることしかできません。 南相馬市 合掌 相馬市 宮城県亘理郡山元町 坂本駅前 紙干しをしている横に車を横付けし、挨拶もしないで 地元の方が先導で被害状況の説明をしていました。写真だけを見ると絵になりますが・・・・ 黙って車に乗って立ち去るのは、ここで記すことではないが、想いは一つではない。 皆それぞれの思いで被災地を回っていると思いました。 私は私なりの取り組みを続けようと思った次第。 亘理町 岩沼市 祈りの旅、終了。 合掌。 この写真で18時半。柴田町待合わせは19時。 30分では行けないが、急ぎ車飛ばしました。 #
by isyouko-bou
| 2013-09-22 21:22
| 想い
帰還困難区域に入るには通行許可証が必要
私は許可証を持っていないのでこれ以上は入れないところまで行って 係員の指示に従いUターン。 安全を確認して紙干しを始めると案の定、警戒中の警察官がゆっくりと歩いてきた。 Uターンする車が少ない中での私の動きが少々不審だったようで・・・・・ 趣旨を説明して少し話をする。 広島から来た応援の警察官。写真に収めてもよいか聞いたところ 「困る」とのことなので、写らないように1枚。右側に警官2名が立っています。 富岡町消防署前。 炎天下の中、皆さんお疲れ様です。 写真は撮りませんでしたが、東京電力(株)福島第二原子力発電所の敷地に入ってきました。 それは線量調査をしているという事で、案内の標識と旗を振る方に 誘導されるように奥へ奥へと走り福島第二原発の敷地内に入りました。 40人ほどの方がみな真剣にテキパキと進めます。 帰還困難区域に入った方々の被曝を調査するスペース。 「線量調査を知りたい」そんな事情を説明して何をしているか話していただけました。 「紙干しを・・・・・」そんな言葉は出ない物々しい雰囲気でもあります。 仙台までの道のりを聞いて退散ですが、詳しく教えてくれる方が現れました。 これまでそしてこれからの道路事情で被曝はないのか聞いてみたら 「私はマスクしていないですよね」だから大丈夫なんです。 ちょっと違うと思いながら・・・・・・・話を切り上げた。 その後係員が「通過!!」と叫び、私を誘導。 本来なら線量調査をするであろう天井のある広い空間を抜け、 大きく回りながらつぶさに見せてくれる優しさに感謝しました。 ゆっくり記憶に残るように眺め、 「ありがとうございます」 「御苦労さまです」 の、言葉しか出なかった。 ゴーストタウンとなった富岡町内にレンズを向けることは出来なかった。 生活をそのままにして立ち去ったであろう方々の苦悩を考えると 現状は報告したいが その無念さを表現できるカメラワークを私は持っていない。 コースを山越えに変えた。 目指すは川内町・葛尾村・飯館町・相馬市の海岸 あちらこちらで除染作業は進んでいるように見えるが広大な敷地のごく一部を 時間をかけて進めている現状を見るにつけ、法律の運用・補助金の活用・被災者の雇用など 私たちが口を挿めない特殊事情を感じてしまう。 途中、通行止めがあり大きく迂回しなければ北上できないことが分かったが 急ぎ旅ではないので(後で大変な思いをしたが)標識に従った。 田村市・川俣町・飯館村経由南相馬市に入れた。 自宅敷地に集めた除染土をどうするの? 飯館村は大規模に山を削り客土していました。 浪江町の行き止まり #
by isyouko-bou
| 2013-09-20 21:20
| 想い
「道の駅よつくら港」で目が覚めてあたりを見回し、少し驚いた。
船の残骸が山のように積み上がっていた。 いわき市四倉町六丁目 9月6日の朝 広野町 護岸工事 ガンバッペ福島 大好き広野 楢葉町木戸 ただただ合掌 富岡町 踏切 これ以上は進めません。 日常がそのままありました。なぜ住み慣れた街を捨てなければいけないのでしょうか・・・・。 原発の安全神話を推進した結果と思います。 私の日常にも同じ光景があり得ると思う悲しい時間でした。 #
by isyouko-bou
| 2013-09-18 21:18
| 想い
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